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1993/1 vol.1
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vol.1/1993年1月号 CONTENTS
日本に残る朝鮮渡来の食物
第1回「プロローグ」
日本には3度外来食物が渡来
近世は南蛮料理。朝鮮伝来ものも各地に伝わり今もなお日常の食卓に

韓国へ一度でも旅したことのある人なら、あるギャップに驚かれるはずだ。本場の焼き肉を食べようとして「プルコギ」レストランに入り、椅子に座って、テーブルを見ると、まず焼き肉用具が違う。網ではなくてジンギスカン鍋が置かれているからだ。日本では炭火でも最近はやりの無煙ロースターでも網の上で焼くのが普通だ。

また肉の材料でも韓国ではカルビは大概骨付きカルビである。日本のようにミノとかハツ、タンなどを焼いて食べるところもなくはないが、マイナーである。

そしていよいよ食べてみると、味付けのタレは日本のそれと比べると驚くほど甘い。辛い物の本場である韓国なのにと、思わず頭をかしげてしまう。つまり、焼肉というのは本場の韓国料理とはまた別の料理のようである。

◆現在の焼肉料理は日本で生まれ発達
ではこの焼肉料理はどこから来たのだろうか。それは日本に定住していた韓国・朝鮮人が始めたといわれる。戦前、戦後しばらくは牛肉は統制品であったから、一般にはそれほど自由にはならなかった。しかし、内臓は統制品からはずれていたし、また日本人はその料理法を知らなかったようである。そこで戦前から日本に住む朝鮮人が内臓を活用して「ホルモン料理」として売り出した。

ホルモンとは俗に関西弁で捨てるものを「ほるもん」といったからという説もあるが、いわゆる医学用語のホルモンを当てて、ネーミングしたものだ。特に戦後の一時期、食べ物に不自由したとき、安くて、力がつくということで日本の社会に受け入れられていった。一時期ブームになった「もつ鍋」も同じ経緯から生まれたものだろう。

そして、日本が高度成長の波に乗って経済的に豊かになり牛肉もたやすく手にはいるようになると、本来のホルモン料理から高級化して現在のような焼肉料理になっていったというのが経過ではあるまいか。いずれにしても、お店でお客自らが焼いて食べるといった現在の焼肉料理のルーツは日本で生まれ、日本で受け入れられた料理で、その歴史はいくら遡っても50〜60年ぐらいではないだろうか。

◆食べ物の足跡は意外にも記録が少ない
焼肉料理ばかりでなく、日本の食は古代から現代にいたるまで、ほとんどがこのようは経過をたどってきた。食物学者の研究によると、日本では歴史上、3度大きな外来食物の渡来があったという。第1回目は古代の時、中国や朝鮮半島からである。第2回目は近世初め、南方からのいわゆる南蛮料理といわれるもの。第3回目は明治以降の西洋料理である。この時期は日本が最も国際化した時代、すなわち人々の往来した時期で、食文化もそれに並行して受け入れられたのであった。

しかし、食文化も含めて、文化の移入はいつも平和裏に行われたわけではなかった。世界史的な規模で見ても、11世紀から13世紀までの200年間にかけて仕掛けられたヨーロッパの十字軍戦争は、この侵略で高度なアラブ文化を吸収し、飛躍的な科学の発展をヨーロッパにもたらした。1492年のコロンブスの新大陸の発見は、アメリカ大陸の文化と黄金、トウガラシやコショウなどのスパイスをヨーロッパへ略奪的に移入することとなった。

またちょうど100年後の1592年に引き起こされた、豊臣秀吉の「朝鮮の役」でもまた朝鮮の文化が移入された。その時は、朝鮮半島から伝わった文化とともに食文化の移入はなかったのだろうか。

1780年に朝鮮の使者が北京へ行ったときの記録に次のような記述がある。

一行は高麗堡という村に到着したが、この村は丙胡乱(1636年の清の朝鮮侵略)の時、中国に連れ去られた朝鮮人の集落で、この村に至るまで水田が見られなかったのに、ここだけは水稲を作り、また150年たっているのにもかかわらず餅や飴は朝鮮の風であったと。

日本でも「朝鮮の役」の時、やはり多くの朝鮮人が連れてこられて西日本各地に「高麗町」や「唐人町」を形成した。とすれば、やはり日本でも当時の朝鮮の食べ物が伝わっていると思われるのだが、意外にもその事を書きとめているものは少ない。

そこで次回からは朝鮮半島から伝来したものと思われる「食」を探訪してみようと思う。日本には多くの朝鮮半島伝来の食べ物があることに驚かされるだろう。


<著者紹介>
尹達世(フリーライター)