|
靴まで届きそうな黒いエプロンをきりっと占め、蝶ネクタイでアクセントをつけた《ギャルソン》(給仕人)が出迎えてくれた。ソファー席もあるサロンのような店内は、大人のムードがする。開店して二十年ほど、店は円熟期を迎えている。
テーブルのコースターに描かれた、お玉 を手にしたチマチョゴリのおばさんの挿し絵がユーモラスである。
薬味のオニオンでアクセント
私もまた、白いエプロンをつけ、おきまりの「たん塩」から始める。「塩もの」は焦げやすい。「ラード」でロストルを拭くという、焼肉店では初めての経験をした。スキヤキの要領で、念入りに脂をこすりつけた。「たん」のスライスはゆるやかに湾曲している。一本の「たん」に対して水平に包丁を入れているのではと思えるほど、表面
積が大きい。凍っていた「たん」は、網の上で瞬時に解け、みるみる発色してくる。
ふんわりと盛られたオニオン・スライスが、さらにボリューム感を出している。白い玉
ねぎに混じり、ちらちらと見える紫玉ねぎが刺激的である。焼肉店での薬味は、にんにく、青唐辛子、ねぎが三本柱である。「翠苑」では、オニオン・スライスを薬味のメインに据えている。虚をつかれたような新味を楽しんだ。
焦げついたロストルを、《ギャルソン》が時々取り替えてくれる。ずっしりしたロストルの交換は、ひと仕事であろう、余裕のある時などは、あらかじめ暖めておくそうだ。
そしてお楽しみ、スペシャルカルビ、「和牛のサガリ」が出てきた。皿ごとそっくりお遣い物にしたい美しい一皿である。横隔膜の下にある肉は、厚くたっぷりとしている。ミニ・ステーキ風の肉にさっと火を通
し、はさみを入れた。肉の芯は赤くて、レア状態である。頃あいの「サガリ」にオニオン・スライスをのせ、かみ締めた。かむほどに、こってりとした旨みがしみ出てくる。
一人前二百グラムと食べ応えもある、この店の一押しメニューである。 口直しに、「こまつ菜キムチ」をひと箸つまんだ。「焼肉とキムチ」、この相性の良いコンビネーションは、もう日本人の誰もが知っている。それにプラス・ワン、酒が必要だ。「焼肉、キムチ、酒」は三位
一体のものである。
それでは一体、「焼き肉にあう酒は何か」と問われれば、当然答えは人それぞれである。
暑い夏の日であれば、文句なしにビールである。じゅうじゅういう焼肉をハフハフいいながらほほ張り、きゅーっとビールを流し込めば、生きている喜びを感じる。韓国通
であれば、鋭角的なビダン(焼酎)にいくかもしれない。そして、若い人なら流行の、「レッド・ワイン」も悪くない。
マッカリで焼肉を
私の場合は、韓国産「コリアン・トラディショナル・ライス・ワイン」にする。もちろん、日本産の「マッコリ」も出回ってはいる。
農酒、「マッコリ」をあおるなど、「翠苑」のようなシックな店ではどこか不似合いなのではと思う向きもあるかもしれない。なかなかどうして、濁り酒、「マッコリ」の穏やかな酸味と米の粒子が、焼肉の旨みをしっかりと受けとめ、さらに口の中に脂を流してくれる。
焼肉には、呼吸している「キムチ」が必要なように、呼吸している酒、「マッコリ」もまた立派な引き立て役である。
現在、韓国の人も、「マッコリ」よりは焼酎(ソジュ)の方を多飲しているようだ。日韓両国とも焼肉の席に、家庭酒の「マッコリ」がもっともっと登場してもよさそうに思う。
ひと口に本場韓国産の「マッコリ」といっても、いろいろある。「翠苑」で出している米一〇〇%の「マッコリ」は酸味も程よく、こくも十分あり、私は大変気に入ってしまった。
焼肉とほのかな酸味の「マッコリ」の組み合わせを、あらためてお薦めしたい。「マッコリ」がまわって、ついつい話がくどくなってしまった。
ところで、焼肉店の開店は夕方からというところが少なくない。
「翠苑」では、ランチもやっている。ランチ・メニュー、「カルビうどん、半ライス、キムチ」は、九百円と手頃な値段でよく出るそうだ。
「うどん」と称する葛きりを固くしたような麺は、冷麺を意識した独特の喉ごしである。小麦粉とでんぷんの変わった麺を、一度試してみるのもいいかもしれない。
ほんのり辛いスープは、日本人の舌に合わせてある。上手に炊けた甘口のカルビ、卵、しいたけ、大根、青菜と、栄養のバランスを考えた具がたっぷりと入っている。そのボリュームで、午後からの仕事に力が入るのか、眠くなってしまうかは、ご本人のおまかせコースとしよう。
「翠円」では、店の雰囲気づくり、テーブルセッティングへの心配りが感じられる。美味しそうに見せるよう量
感、色彩感を出した盛り付けがうれしい。こざっぱりした器がまた、目で食べる日本人客を十分に楽しませてくれる。
味の基本は、総じて角のとれた穏やかな韓味仕立てである。キムチも、あっさりとした和風のお漬物に仕上げ、《ギャルソン》が取り分けてくれるチャプチェ(雑菜)もまた、日本人の舌に記憶のある味がする。
韓国に恋焦がれた味を基調とするこの店は、包丁に覚えのある日本人が経営している。
|